大学院での授業は、大きく【①大学院共通科目、②研究科共通科目】(選択必修)と【③プログラム専門科目】(自分の専門領域中心)に分かれます。
所属に関わりなく、博士課程前期の院生が2単位を取得しなければならない授業です。私は「Hiroshimaから世界平和を考える」(1単位)と「データリテラシー」(1単位)を履修しました。自分の研究関心などに応じて、好きなものを履修できますが、履修を希望する学生が多いため、抽選になったり、オンライン授業としての実施だったりすることもあります。
人間社会科学研究科の博士課程前期の院生が3単位を取得しなければいけない授業です。私は「人文社会科学のための研究法と倫理」(1単位)と「平和教育の構築への実践的アプローチ」(2単位)を履修しました。特に後者の授業は、8月6日の広島平和記念公園でのフィールドワークも含んだ8月5日から7日までの集中講義であり、他大学から進学し、かつ平和教育に関心があった私にとっては、特に興味深い授業でした。
大学院での「専門」や「研究」に深く関わる科目です。私は,社会認識教育学(社会科教育学)の専攻であるため、社会認識教育学を専門とする4名の教員(草原和博先生・川口広美先生・金鍾成先生・池尻良平先生)の授業を中心に履修をします。特に4名の教員の授業は、プロジェクト型で進行するものが多く、授業を通しての成果物を学内での発表やオンラインセミナー、学会発表、論文投稿などの形としてアウトプットすることが多いです。
・草原和博先生
(大学における教師教育のあり方・教師同士のセルフスタディについての文献講読や議論/学校現場で行われる研究会への参加・学部生向け授業の観察など)
・川口広美先生
(シティズンシップ教育に関する文献講読や議論/学会誌掲載論文の分析)
・金鍾成先生
(広島平和記念資料館を活用した歴史教育単元の開発/ポストコロニアリズムについての他大学と合同の勉強会・その成果を活かした社会科授業単元の開発)
・池尻良平先生
(歴史学習におけるコンピテンシーや学力観についての研究/歴史のコンピテンシーを計測する質問紙調査の作成研究)
指導教員の川口広美先生のゼミで自分の研究について発表したり、意見をもらったりします。
ゼミは基本的には学年(B3、B4+M1、M2、D)で分かれて実施されていますが、他学年のゼミへの出席は自由であるため、時には先輩や後輩のゼミ生とも交わりながら行われることもあります。
私は「社会科教育と包括的性教育」を研究テーマにしており、どの切り口からアプローチするかに悩んでいるところなのですが、何より、ゼミでは立場に関係なく対等にコメントをし合えることで手がかりを得られることが多いです。
例えば、指導教員からは今後の参考になる論文や本を紹介していただきながら今後の方向性を共に考えてくださったり、自分自身では気づけなかった前提や目標を言語化してくださるほか、ゼミ生からは先行研究との関係性など、資料だけでは伝わりにくかったことについて検討の機会をくださるほか、それぞれの研究テーマや過去の経験からのアドバイスを交わし合ったりできたりと、公正な場を心がけたゼミになっております。
社会認識教育学を専門とする教員の授業以外にも、哲学・地理学・外国人児童生徒教育・学校の危機管理・ナラティヴ研究などに関するものを履修しました。
単位的に履修しなければいけないという面もありますが、専門領域以外にも自分の知見を広めることは本当に大切なことです。
とにかく大学院に来てから、授業の発表準備や自分の研究などで、「忙しい」の言葉や「一難去ってまた一難」のフレーズがつねに頭をよぎります。
空いている時間をみつけて自分の研究に関わる文献を読むことや、それとは直接的には関係のない本について個人や集団で読むことなどをこころがけています。
学部時代は個人での研究やレポート課題が主であり、ゼミも文献講読が中心だったため、いっそう大学院での共同研究や自分の研究についてのゼミ発表では、自分の考えを省察する機会が多く、いつも「もっと勉強しないといけないな」と思うのですが、なにより時間の確保が難しいです。
以下はある一日のスケジュールです。
はっきりいって、時間の管理がまだまだ下手だなと思いつつ、過ごしていますが、なんとか調整を繰り返しながらやっています。
学部は他大学の中等社会科教員養成課程に在籍していたのですが、私が大学院進学を考えるようになったのは、大学3年生の教育実習後あたりからでした。
理由をひとことで言うと、「学校教育とくに社会科教育についてもっと考えてみたいと思ったから」です。
私が大学3年生のときは、コロナの問題から戦争、国内での政治的テロ事件など、歴史的な事件や問題が立て続けに起こり、その中で自分が高校までで勉強してきた「社会科」が、ほとんど役に立たないことに強い問題意識や危機感を感じたことが一番の理由かなと思います。
また、教育実習での「上手くいかなさ」と、私が行いたい授業や生徒と一緒に考えたいことを尊重してくださりながら、「授業の問い」の細やかな表現の変化による思考の変化といった視点から、議論を活発に展開するための工夫などを丁寧に検討してくださった実習指導教員へのあこがれのようなものも理由の一つです。
そこから、実家からは遠く離れてはいるのですが、色々な方々のサポートや助言などをいただきながら、広島大学大学院への進学をめざすことを決めました。
来年度の教員採用試験を受験するつもりですが、地域や校種、国立・公立・私立など、まだまだ決められずにいます。
研究室の先輩方では、中高の教員になられる方や博士課程後期をめざされる方などがいらっしゃいます。
私が大学院に進学してよかったことは、何かしらの強い問題意識をもった院生と領域を超えて関わることができることだと思います。
また、大学教員や学校関係者、研究者、子どもなどと、「大学院生」という存在として関わることができることも、学部時代とは違った楽しさと大変さがあります。
私は哲学の専攻から社会認識教育学の大学院に進学しましたが、同じ専攻から進学する人はもちろんのこと、違う専攻から進学する人ほど、学部での学びを大切にしてほしいと思います。
というのも、違った専攻分野の視点は、新たな感覚やこれまでの先行研究で見落とされてきたことに目を向けるきっかけにもなる大切な資本・財産になることが多いためです。