あまり勧めても気味悪がって来なくなるので公開されているシラバスを参照していただければよいのですが、社会科学認識内容学特講Ⅴを挙げておきましょうか。特殊講義ですから受講者の関心に合わせた運用が可能で、さしあたりは私の専門としている裁判研究を中心に英語文献を読みながら討論したり文献調査と報告をしてもらったりしてきました。
読んでみて異様に面白かったのはNiemi & Junn両先生の“Civic Education: What Makes Students Learn”(Yale University Press, 1998) でした。公民教育の成績をいったい何が規定しているのかを全国的に調査したもので、例えば、家に本が何冊あるかとか、テレビを何時間視ているとか、教員が取り上げた話題の数とかを尋ねて、それらと学力テストの点数との比較をした本です。学校の授業は政治的社会化にはあまり役立たないというのが政治科学者の定説だったのですが、厳密に調査すると2、30点位の影響はあるみたいなので軽視はできないという政治社会学的研究です。この本を一年かけて読みました。うちの図書館には入っていなかったので、他の本のついでに偶然に通販で購入しました。
最近はアメリカ連邦最高裁のノンフィクションがいくつか出ていますから、それらを読んで、人数だけは多い日本の最高裁の様子と比較してみようかと思っています。それ以前はもっと緻密で、州最高裁の研究書を何冊か手に入れたので、カリフォルニア州最高裁判事の州民審査を参考にした日本の最高裁と州のそれとを比較検討するのが筋かもしれないと考えていましたが、そこまで徹底した関心を抱いている院生さんはいませんよね。まあ日本の最高裁だけでも戦前の大審院時代も含めれば、歴史を追うだけでも大変ですね。
司法制度の国際比較を試みることで、政治分野や教育行政も含めて物事を相対化して客観的に分析できる視点が得られます。これにより将来的な改革の方向や具体的な長短も見えて来ますから、学校や教育委員会でも組織内の問題を分析したり改革案を作成したりする際に役立つと思います。もちろん教壇に立って何を質問されても恐くなくなるはずです。
これから教職課程の標準が修士レベルに上がっていきますが、どのような分野でも専門的な内容を修めておけば、事務処理能力がつきますし、物事に動じなくなりますから、社会や職場での実践的な応用力も身に付くはずです。もちろん、あれこれ失敗もするでしょうが、その際は大学院でそう教えられたからだと責任を転嫁して下さって構いません。
とにかく来てもらえれば、いろいろ伝授やお手伝いができる事もあるでしょう。僕が大学院生だった1990年代は情報環境が紙中心の時代でコピーばかりして居ましたが、昨今は世界中の文献資料が電子ファイルで即座に入手できることも多いので、いきなり不思議な学問の国へ入り込んで、専門的著作の読破を行わなければならず大変だろうと思います。
小職の場合は、あまり専門特化していない授業ですので、単位漁りやオアシス代わりに活用するのが有効かなあと思います。