A. 大学院での一押しの授業は「市民性・社会科学認識内容学特講Ⅰ」ですね。大学院は自身の専攻する学問に関する授業を選択する学生が多いのですが,この授業では専攻や学年を問わず,毎年多くの学生が受講してくれています。
A. 応用倫理学に関する幅広い内容の,最新の書物を選び,読み進めていきます。学生に事前に範囲を指定して読んできてもらいます。それを毎回2名ほどに内容をまとめてきて考察してもらい,授業ではみんなで議論します。今年度(2013年度)前期は,ゼミ生が専攻していることもあって環境倫理に関する本を読みましたが,後期はまた違うものを読みたいと思っています。
倫理学の基本は,人の立場に立って考えてみよう,ということです。立場を変えてみるとどういうことが見えるかということを考える。これは,社会科の教員として物事をとらえたり,子どもに教えたりするときにも重要な視点となってくるでしょう。
応用倫理学の難しいところは,「解決が難しい」という点です。例えば,現在授業で取り扱っている環境倫理学という学問は,一時期華々しい時代を経験しました。あたかも環境問題自体を解決してくれる学問であるかのように期待されていた時期がありました。でも,そんなことはもちろんできなくて,実際には環境に関するテーマや論争を倫理学的に見ていくことしかできない。「社会」という融通無碍なものがあったとして,それを倫理という視点を持って見ていくと,歴史学や地理学の視点とは違ったものが見えてくる。そういうところに,倫理学を学ぶ意義があるのではないでしょうか。
A.私はもともと専門がカントやシェーラーなどのドイツ哲学で,学部に赴任してきた際に応用倫理学を本格的に研究テーマとして取り扱うようになってきたので,私自身も初学者のような気持ちで議論に参加しています。
倫理学は道徳教育のための手段ではありません。「倫理」についての「学」なのです。正確に言えば,哲学の一分野なので,倫理について哲学するということです。「哲学する」といった時に,よく「ただ思索にふけって一生懸命考えこんでいるんだろう」というふうに誤解されますが,そうではなくて,哲学するときは,きちんとした「事実」をわかっていないといけません。事実にもとづいて考える作業ですから,考えるための材料がないと,そこからは正しい推論も導くことができないのです。思索にふけっていると思われがちな哲学者だって,実際やっていることはほとんど事実の確認なのです。特に応用倫理の分野は,技術の進歩に応じて問題の状況や論争点などの現状が日々刻々と変わっていきますから,なるべく正確な事実を集めることが欠かせません。ただ,それは相当に大変なことで,日夜新聞をスクラップするのに追われています(笑)。そういう時,授業でもよく使うのですが,日刊紙から2ヶ月遅れで出る内容をまとめた「切り抜き速報」という雑誌を活用します。教育版や,社会版など分野に分けて出版されていて,図書館にもありますし,コピーして使うこともできますから,こういうのを中学や高校の授業なんかでも活用するといいですよ(笑)。
A. 大学生のうちに,自分を律することができるようにする必要があります。今までは,ある種他人のお世話の上に「乗っかれば」よかった。社会に出てからはそんな甘えは通じませんから,大学生のうちにできるようになっておいたほうがいいですね。
大学時代に行っておくことは,やはり勉強です。最近,社会人の70%くらいの人が「学生時代にもっと勉強しておけばよかった」と答えている,というニュースを見ました。でも,いつの時代も大人はそうやって後悔するのです。私も学生時代は,どんなにやってもあれが限界で,これ以上ないというくらい頑張りましたけれど,それでも後から振り返ると「もっとやっておけば良かった」と思います。人間誰しもそう思うものなんですよ。
むしろ,「もっと勉強しておけばよかった」と後悔できる人は,学生時代にしっかり勉強してきた人なのかもしれないですね。それでも,勉強し足りない,もっと深めたいという人は,大学院に来て,もう一回チャレンジすることができます。まあ,そういう真面目な人は,大学院で学ぶとまた「もっとやっておけば…」って思うんですけどね(笑)。それでも,その時々に全力で学べば,後の後悔も意味のあるものになると思います。
もう一度大学院で学ぶ時には,しっかりと時間をかけて,自分のしたい研究に取り組めるわけだから,それは本当に意味のあることだと思う。そうやって全力で取り組んだ研究テーマが,後々「広大で学んだ自分の専門」として誇れるようになります。人とは違う,自分だけの研究に取り組んだことが,自分の勲章になる。だから,まず学生さんは卒業論文にしっかり取り組んでほしい。とまあ,そうやっていつも卒論に取り組む4年生に言い聞かせています(笑)。