学部4年の私(赤田拓哉)は,卒業論文調査の一環で,熊本県阿蘇地域で甲斐有雄という人物が明治時代に建立した道標(道しるべ)について,8月31日から9月2日にかけて現地調査を行いました。調査には,指導教員である熊原康博教授に同行頂き,地元の有識者の方や,南阿蘇村学芸員の方にも協力頂きました。
甲斐有雄は,江戸時代末期から明治時代にかけての人物であり,阿蘇周辺に約1,900基の道標を慈善事業として建立したとされています。道標は道の分岐に設置するので,行き先が書いているので道に迷う人を減らすことにつながります。しかし,現時点では,有雄が建立した道標は約50基しかわかっていません。
私の研究では,有雄直筆の日記『甲斐有雄建設紀』に記録が残る,高森村,南阿蘇村の367基の道標を対象に調査を行いました。日記には,道標に記した2つの道の行き先が書いてあるので,古い地図と今の地図を重ね合わせ,道標を置いたと考えられる道の分岐を特定します。道標が現地にない場合には,過去に道標が合ったかどうかを近くの住民に尋ねました。道標が現存する場合には,多数の写真から3Dモデルを作成し,詳細な文字情報を得るようにしています。
明治初期までの街道は,現在では細い道であることが多く,分岐する地点を特定する作業に苦労しましたが,天気にも恵まれながら,新たな道標の発見や,地元の方からの過去に建立されていた情報を得るなど,成果が多数ありました。有雄が残した道標については現在失われているものがほとんどで,未解明な部分もまだ多くが残っています。本研究によって,郷土の発展に貢献しながらも,その貢献が十分に評価されていない甲斐有雄について,地理学的側面からより資料の充実や,教育現場での活用などにつなげていきたいと考えています。さらに調査を行い卒業論文の完成へと発展させていきたいです。
(4年 赤田拓哉)