本コースの大学院生が広島大学教育ヴィジョン研究センター(EVRI)オンラインセミナーで前期授業における研究内容の発表を行いました。

2024年8月3日(土)に,広島大学教育ヴィジョン研究センター(EVRI)オンラインセミナーにて,本コース大学院生の山本亮介(博士課程前期1年)と野呂航平(博士課程前期1年)が発表を行いました。本セミナーには,学校教員や大学院生を中心に44名の方にご参加いただきました。

発表題目は「学校歴史教育は困難な歴史を展示している博物館をどのように活用できるか-広島平和記念資料館を事例に-」です。本発表は,人間社会科学研究科博士課程前期授業科目「指導・評価法デザイン基礎研究」における成果物に基づき,授業をご担当された金鍾成先生と共同で実施しました。内容の大きな方向性は,社会の中でトラウマになって思い出したくない歴史として一つ定義される「困難な歴史」を展示している博物館の歴史教育としての活用について研究したものです。そして今回は,例えば「戦争の被害から復興を成し遂げた平和都市」のように,ある語りが社会で広く受け入れられ,いわゆる「愛らしい知識(Lovely knowledge)」として,特定の社会の中で語りが定型化・固定化した歴史を再び「困難な歴史」として認識させる授業開発を,広島平和記念資料館の訪問学習を事例として行いました。

以下,本発表を通して得た学びについてのコメントを掲載します。

野呂航平(M1)

 高校生までは18年間東北で育ち,大学は4年間東京で過ごしていました。広島に知り合いなんてほとんどいないのに,同じ「日本人」アイデンティティだけで,どこか「ヒロシマ」を知った気になっていたことを大学院で広島に来て自覚した経験から,「広島に馴染みの薄い地域からの修学旅行」という学習状況を提案させていただきました。参加者や指定討論者の星瑞希先生(北海道教育大学札幌校)との討議のなかで新たな課題が多く浮かび上がりました。まず,「異なる語りに出会わせる」と言っても,どのように出合わせるのか,文字や映像情報として提示するのか,生の声を聞かせるのか,これだけでも,かなり「他者」の意味づけが変わってくるかと思います。また,「異なる語り」の多様性も解釈の仕方によっては無数に広がる対象であり,教師が学習者に提供するにしても,そこには意図性や選択性が不可抗力としてはたらくことが考えられます。そして,「他者」の定義を「博物館に展示されている他者」から「異なる語りを持つ他者」に単線的に変化させてしまっていましたが,そこからの自分の立ち位置の自覚の方略,「他者」とは果たしてこの二つでよいのか,学習者である「私」とのつながりはどう意味づけるべきかなど,様々な論点を今後の研究課題として取り組んでいきたいところです。私自身が,学部時代から「ナショナルアイデンティティ」や「パブリックヒストリー」などの概念にいくらか関心を寄せていたこともあり,「困難な歴史」について,教科教育学の枠組みで研究できることに非常に充実感と使命感を感じていました。私自身は,公民領域に軸足を置いておりますが,自分が市民性教育としての歴史教育に想像以上に関心や情熱を持っていることに気が付くことができた良い経験でした。

山本亮介(M1)

 私からは,自身が本発表を通して学んだこと,および発表を通して感じた課題を1つずつ報告させていただきます。学んだこととして最も印象に残っているのは,「学習者が語りの多様さや複層性を捉え,自らの語りなおしに切実性を見出す1つの方略が明らかになったこと」です。本発表で取り扱った事例に限らず,学校教育において博物館訪問から引き出される回答は,博物館の展示をそのまま反映したものとなる傾向があります。例えば広島平和記念資料館であれば,「被害の悲惨さを知り,二度と繰り返さないようにする」との教訓が引き出されることとが想定されます。もちろんこの解釈は全くもって妥当なものですが,外国人被爆者や米国における原爆投下に関する複数の言説など,展示から抜け落ちた語りは認識されないまま学習が終了してしまいます。この課題をふまえて発表した「博物館展示に描かれていないもの」まで含めた単元構成は,展示を巡る論争性から学習者の認識を多元化させ,語りなおしの責任を問うこととなります。これらについて,対象事例への適応だけではなく,より包括的な「デザイン原則」として提案できたことが本発表の1つの意義となりました。一方,今後の研究に向けて多くの課題をいただくこともできました。その中で私が特に強く受け止めたのは,「困難な歴史の学習デザインにおいて,学習者のアイデンティティに基づく感情をどのように組み込むことができるか」という問いです。本発表では,学習者が学習前後の語りの変化をふまえて,語りなおしを行うという単線的な流れを想定していました。しかし実際には,「困難な歴史」と向き合い,現代の「異なる語り」を持つ他者と向き合う際には,認知的側面だけではなく,情意的側面が強く影響することとなります。具体的には,星瑞希先生よりご提起いただいた「「私」そのものの問い直し」の必要性からは,自己の反映をせず,分析に留まることの限界性が示唆されました。このように,語りの変容の認識に留まらない「感情の反映」をふまえた学習と評価はいかにあるべきなのかという問いは,学習における倫理的側面を重視する本研究において重要な論点となります。この点をふまえ,今後も研究を進めたいと考えます。

なお,本記事はEVRIの報告記事を一部修正の上転載しています。

本発表の詳細についてはこちらをご参照ください。

(執筆:M1野呂航平,M1山本亮介)

セミナー発表をする大学院生(野呂:M1)

セミナー発表をする大学院生(山本:M1)