大学院の授業で東広島市河内町のフィールドワークを行いました。

 1月20日(金)に大学院の授業「環境・社会と学習材デザイン発展研究(社会・地理歴史)」(熊原康博准教授担当)において、東広島市河内町周辺のフィールドワークを行いました。


 まず、入野地区の上郷集落へ農業用水を引くために建設された突永隧道(写真1)と周辺の建造物を巡りました。
 突永隧道は1944(昭和19)年に地元の名士であった突永善吉によって建設されました。隧道の周辺には工事の安全祈願やその後の隧道への顕彰と考えられる隧道神社があり、傍には隧道建設の経緯などを刻んだ石碑がありました。
 また、隧道神社への参道には農業用水の恩恵を受けた住民らが寄進した鳥居や石灯籠があり、突永善吉の功績と、稲作における水の重要性を再認識しました。

 次に、河内地区中心部にある町立河内高等学校跡地と発祥公園を巡りました。
 町立河内高等学校跡地は現在発祥園コミュニティスポーツ広場として利用されています。正門跡や女学校であった河内高等学校の前身をこの地に移転させた福原稲造を顕彰する石碑(写真2)がありここにかつて学校が立地していたことがわかります。
 また、この後訪れた発祥公園や椋梨川の支流に架かる発祥橋(昭和9年)にも「発祥」の文字が冠されており、その由来や歴史についてさらに興味が深まりました。

 フィールドワークの最後は、河内町北部の深山変電所(写真3)と椋梨ダム(写真4)を巡りました。
深山変電所は1918(大正7)年に椋梨川発電所として完成した、石造りでモダンな建屋が目を引く施設です。この施設は1969(昭和44)年に椋梨ダムと新椋梨川発電所が完成するまでの間、水力発電で地域の電力供給を行い、その役目を終えた後も変電所の設備として利用されています。新旧の水力発電に関する建造物を巡り、電力の面から広島の歴史の一端を垣間見ることができました。

 フィールドワークを通して、地図と現地の様子を照らし合わせて歴史を考察・検証するという地理的な歴史の見方を学ぶことができた一日となりました。
(M1 木村海斗)