大学院の授業で東広島市と広島市のフィールドワークを行いました

 10月28日(金)、11月4日(金)、25日(金)に大学院の授業「環境・社会と学習材デザイン発展研究(社会・地理歴史)」(熊原康博准教授担当)において、フィールドワークを行いました。

 10月28日と11月25日は、東広島市志和町にある並滝寺池とその周辺を巡りました。
並滝寺池は、黒瀬川の流域にもかかわらず、志和町内に位置しています。フィールドワークでは池周辺や池の近くにある並滝寺へ向かい、並滝寺の歴史や池の集水方法について調査しました。また25日には「なみ滝藤原園」の所有者の方からこの地域に関する様々な事柄を伺いました。並滝寺池の貯水量は大きいものの、黒瀬川の最上流部であるため集水域が狭く、水不足であることが多かったようです。そのため、志和へ流れる谷の水を池に引き込むトンネルを掘削する工夫がなされていました。また「なみ滝藤原園」ではトンネルの一部を見学しました。

(ここまでM1 村上 正龍)

 11月4日は、広島市南区に敷設されていた国鉄宇品線跡を巡るため、当時の地形図を基に広島港を起点に広島駅まで9kmの行程を歩きました。

 国鉄宇品線は、日清戦争の勃発した1894年に宇品港から清のある中国大陸に兵士を送り込むために敷設された軍用路線が起源の鉄道路線でした。そのため、広島陸軍糧秣支廠や被服支廠といった軍事施設が周辺に見られます。その後、第二次世界大戦終結までの間は相次ぐ戦争の状況に応じて旅客輸送と軍事目的の輸送、貨物輸送と臨機応変に利用され、戦後は1966年まで全線が旅客運用されていました。しかし利用者の減少とともに規模が縮小、1972年以降は貨物輸送のみの利用となり、1986年に全線廃止となりました。現在、宇品線の廃線跡はグラウンドゴルフ場や集会場、モニュメントといった幅広い用途で活用されています。

(ここまでM1 木村 海斗)

 11月25日の後半は東広島市造賀にある別所集落と鰐淵の滝周辺を巡りました。
 別所集落は、その地名から中世の荘園由来の起源を持つことが推測されます。地図で確認する限り、四方を山に囲まれた盆地で、造賀川からも距離があり、その成因は謎めいています。また、集水域も狭い一方で地形図には水田の地図記号が見られ、農業用水をどこから確保しているのか、別の地域から用水路で導水しているのではないか、という仮説を立て、現地に向かいました。

 

 現地を訪れると、地形図通り、圃場整備された大きな水田が広がっていました。この集落に暮らす農作業中の男性からお話を伺うことができ、農業用水は集落内のため池によって確保していること、ポンプによって低い位置に落ちた水をくみ上げ、もう一度水田へ回していることなどをお聞きしました。かつて5世帯あった集落も現在居住者がいるのは2世帯のみとなっているそうです。
 
 鰐淵の滝では以下の写真で確認できるように、滝の周囲で岩石が四角いブロック状になっていることが分かります。地質図で確認してもこの地域は花崗岩質のため、花崗岩に節理とよばれる亀裂が入って形成されたものと考えられ、特徴的な景観を生み出していました。また、周囲の高低差や地形を地形図で確認すると、かつての造賀川の流路が異なっていたことや、滝の位置も変遷していることが読み取れ、その痕跡を確認しながら周囲を巡検しました。

 地図から読み取れることと現地の観察・インタビュー調査によって得られることの双方を結び付け、土地の成り立ちや変遷などについて分析・考察を行うというフィールドワークの基本の大切さを認識するとともに、醍醐味を味わうことのできた巡検となりました。

(M1 首藤慧真)