5月25日(水)に大学院の授業「環境・社会と学習材デザイン基礎研究(社会・地理歴史)」(熊原康博准教授担当)において、東広島市西志和周辺のフィールドワークを行いました。江戸期と戦後の水利システムと,現役で発電している志和堀水力発電所を見に行きました。
西志和で最も低いところを関川が流れています。関川支流小野川の上流にある池は「小野池」と呼ばれています。その堰堤下には,昔から決められた配分通りに水をわける「円筒分水」が設置されています。ここでは,江戸期からの用水路への水と小野川に戻る水の二つに分かれています。志和盆地は,水田をつくりやすい低地が広がっていますが,関川の最上流なので水が乏しい地域です。そのため,江戸時代に,黒川三郎左衛門と呼ばれる方が,小野池の原型を作り,用水路を掘削した結果,小野川右岸に水田が作られることになりました。面白いのは,関川は南から北に流れていますが,この用水路は,逆に北から南に向かって逆に流れています。別府村の人たちは黒川三郎左衛門に感謝するために彼の報徳碑を建てました。現在は,この用水路の水を使う人が少なくなっており,用水路の維持が大変であると考えます。また,小野川の下流には,戦後の開拓の用水路の分岐もあり,こちらは小野池の左岸側に大規模な水田が作られました。
志和堀水力発電所は今も発電を続けています。前は志和堀電化農業協同組合が事業を行なって、発電した電気を全て中国電力に売っていました。しかし、タービンの故障があって発電が止まりました。その後,広島ガスが経営権を取得し,タービンなどの修理を行った結果,2021年6月から発電が再開されました。今はこの志和堀水力発電所には「固定価格買取制度に基づく再生可能エネルキー発電事業の認定発電整備」の看板が掲げられており,二酸化炭素を排出せずに発電しています。
(M1 王瑩)