大学院の授業で志和堀を歩きました。

10月21日(木)に、大学院の授業「環境・社会と学習材デザイン発展研究(社会・地理歴史)」(熊原康博准教授担当)において、東広島市志和町志和堀周辺でフィールドワークを行いました。  

当日は伊能忠敬が描いた地図、大正・昭和・平成の各時代の地形図を照らし合わせつつ、伊能忠敬が志和掘周辺で歩いた街道や宿泊地を探索しました。志和掘の中心地は時代により変化しており、江戸時代から明治にかけては,旧志和堀小学校南の南北方向に伸びる道沿い(堀市),大正以降,堀市より北の北東-南西方向に伸びる道沿い(新市)へと変化しています。また,志和堀は,北へ白木・三次,南へ八本松・西条,西へ広島市街地,東へ豊栄・世羅をむすぶ江戸時代からの交通の要衝であったこともわかりました。  

住民の方から昭和30年頃の新市の商店街の並びを記した書籍を拝見させていただきました。新市には、生鮮食品店などの最寄り品や,農機具や呉服店などの買回り品を販売する店舗,写真館やパチンコ店,酒蔵なども立ち並んでおり,周辺の農村で暮らす人々が訪れる地域の中心地であったことが伺えました。  

歴史的な景観に触れる機会が少ない中、当時の活気に思いを馳せながら地域を学ぶ貴重な経験となりました。 (M1 住谷侑也)