大学院の授業で東広島市黒瀬町でフィールドワークを行いました

6月10日(木)に、熊原康博准教授担当の大学院の授業「環境・社会と学習材デザイン基礎研究(社会・地理歴史)」において、東広島市黒瀬町乃美尾~川角~菅田~楢原地域のフィールドワークを行いました。この地域の藪や水田の畦には幅3~4m離れて対に「呉水」と刻まれた石標が,点々とほぼ直線上に並んで見られます。

これは戦時中に軍港の呉市に給水する三永水源地とその専用水道を建設するにあたり,軍主導によって土地が接収され、水利権をもつ呉市と黒瀬町の境界を定めるために設置したとみられます。現在でも、対の石標の間の土地の所有権は呉市にあります。直線状の石標は菅田地区に入ると町の開発が進んだため見られなくなりますが、東広島市立黒瀬生涯学習センターの裏手の田の水路の脇に数基みられ、そのまま直線状に、ゆめタウン黒瀬の駐車場を途中で分断するように続いています。駐車場が分断された部分は土地の所有権が異なるために草地になっているのではないかと考えられます。

普段から目にしていても気に留めることがない点々とみられる石標や駐車場を分断する草地から、戦時中の名残を感じるという新たな発見をすることができました。

(M1 池田優子 )