10世紀終わりから11世紀初めにかけて、藤原実資という貴族がかいた『小右記』という日記を読み解く授業です。日記といってもプライベートなことをかいているわけではなく、政務日誌のようなものです。このころの男性貴族の日記は摂関時代の政治や社会、思想などあらゆるものを研究する宝庫なのです(「この世をば・・・」だって実資がメモしていたから残った)。しかも道長に次ぐ№2の政界のご意見番の日記だから、政界の内幕、政策決定過程、が詳しく厳しく辛辣に書いてあり、読んでいてとにかく面白い。この授業は『小右記』を楽しく読み解きながら史料を読解する研究能力や研究課題を発見する力をつけていくことを目的としています。
教科書の内容というのは表層でしかなくて、その背後にどれだけの内容があるか。教科書しか読み取れない先生と、その背後にあるものまで読み取って教えることのできる先生と、その違いは,日本史の場合、学部・大学院で一つの研究テーマを突き詰めて追究することを通して日本史研究能力・教材研究能力を身につけているかどうかの違いであると思う。『小右記』の演習は、その力を身につける基礎的な授業です。また『小右記』の演習で徹夜して調べて発表した面白い内容を、平安時代の政治や文化に絡めて話すこともできるし、1週間、辞書を引き史料を探して調べたそのプロセス、すなわち実資さまの謎かけを少しずつ解いていく苦しさと楽しさを生徒に語ることも、学問の面白さを伝えることになるだろう。
いまは平将門についてかいたり、あとは自分の論文に対する批判に対して、反批判の論文を書いたりすることに追われている。反批判に関しては、茨城県の遺跡から出土した漆紙文書の対蝦夷征討軍の兵士装備点検リストの装備品にある「腰縄」とは何かについて論争している。「腰縄」自体はたわいもないことなのだが、「腰縄」を犯人を逮捕するための縄とみる論敵に対して、これは①遠征軍装備である、②袴・手袋など制服とともに書かれている、③したがって武器(太刀・弓弦など)や他の装備(水筒・米袋など)をぶら下げるベルトだと批判している。どうってことないくだらない議論に見えるかもしれないが、国内治安維持軍(論敵の説)か、対新羅朝貢強要を目的とする外征軍か、という律令軍制の本質に関わる問題なのだ。大きな問題を見通しながらちっちゃなことを研究する。そこが研究のおもしろいところだね。
そうだね、誰にも知られていないことを研究する、ということはやはり面白いね。子供のころから歴史が好きで、それは幼いころの生活歴で決まると思うんだけど。郷土のことにとても興味を持って、郷土史にどんどん興味を持って行ったね。自分の地域という微視的なところから僕の歴史好きは始まった。しかし大学に入ってグローバルな視点から歴史を捉える「史的唯物論」と出会ったときは「コペルニクス的転回」ともいうべき衝撃をうけた。日本の歴史も世界の歴史の一部であり、世界の歴史と基本的に同じ発展段階をたどってきたのだ(それは必ずしも全面的に正しいわけではないが)。それを最初に教えてくれたのは日本が生んだ最高の歴史学者、石母田正『日本の古代国家』との出会いだった。これを読まない人には日本史を教える人になってもらいたくないね(うそだよ)。この本のなかで(だけではないが)彼は「現代との緊張関係」ということをよく言っている。現代社会が直面している問題との緊張関係をもって歴史に向き合い研究する、あるいは教える。歴史を学ぶ上で現代的視点を持つことの重要性について僕は強く影響をうけた。
卒論に取り組んで、学問の深淵をちらっと垣間見て感動を覚えた人、もう少し身を乗り出して覗いてみてはどうですか。私の跡を継いで古代史研究者になれとは言いませんが(なるなともいわないですが)、高校教師としての教材研究力は確実に身につきます。